PATO おっさんは二度死ぬ 読感
おチビ一時預りのお礼は…
コロナの一件で小中学校が臨時休校になったンでご近所おチビをお預かり。
そのまま15kmほど南のスイミングスクールにクルマで送っていく道中で”平蔵パパにあげるッ!”と後部座席から何やら手渡される。
黒光りしたビー玉ほどの物体。
幼い、きちゃない手でコネくり回した、消しゴムカスで作った練りケシ玉。
”うゎッ! きちゃな!”と後部座席に投げ返してしまった。
以前ボクのFBで紹介したPATO氏のブログ(こちら)。
その緻密な洞察とあの時代をあの世代で過ごした者の琴線に触れまくる記述。
俄然このPATO氏に興味が湧いて過去のブログや執筆を読んだ。
そして今回氏の書籍、”おっさんは二度死ぬ”。
もちろん図書にあろうはずものないので密林で購入。
おっさんは二度死ぬ
作品に登場する人物は紙おむつプレー嗜好のオヤジ、年増とのねんごろを求め造園手伝いするパチンカーオヤジ、生理用品を和菓子と間違えて来客を接待するオヤジなど如何しようも無いクズオヤジが陳列される。
しかしそれらは程度の差や方向は違えどなぜか既視感を覚える。
それは知り合いや友人や、父親だったり、自分自身だったり。
上述のブログ同様PATO氏の目線はボクらバブル期を通り抜けたモノの心の奥に引きこもる小さな、どーしようも無いおっさんに柔らかな光を当てる。
それに気づいた所でさて、となる。
それは人それぞれ。
人によっては全く無意味な書籍である。
ホリエ○ンの自己啓発書の方がよっぽど為になると、多分思う。
瓶の底のオリが多少巻き起こった様な違和感。
それは昔授業も聞かず夢中で作った黒い消しゴム玉。
それを思いだした、だけ。
変化を楽しむのはこれから、だろう。